迷走オヤジの独り言

迷走中のおっさんの独り言です

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

www.bananakayo.jp

主演    大泉洋
公開年   2018年
監督    前田哲
おススメ ★★★★☆

あらすじ

北海道で医大に通う田中(三浦春馬)は、ボランティア活動を通じて体が不自由な鹿野(大泉洋)と出会う。鹿野は病院を出てボランティアを募り、両親の助けも借りて一風変わった自立生活をスタートさせる。ある日、新人ボランティアの美咲(高畑充希)に恋をした鹿野は、ラブレターの代筆を田中に頼む。ところが美咲は田中の恋人だった。

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 (2018) - シネマトゥデイ

 

感想

原作は〇年前に読了済み。内容はうろ覚え程度。ということで予備知識ほぼゼロで劇場へ。

最初にまず、「愛しき実話」とあるが、実話をベースにしたフィクション。この作品が鹿野さんのそのまま、というわけではない。

冒頭20分。本当に胸くそ。これが重要な前提。他人のわがままって、健常者であれ子どもであれ、いい気分になることは絶対にない。わがまま=自己中心的発想、というところもあり、他人の感情などはそこにない。だから、わがままをむき出しにされると腹が立つのは人間の心理としてはごくあたりまえだと思う。

これがなぜ成立するのか。生きていけないから。

題材は違って、これをたとえに出すのは不謹慎というご批判があるかもしれないけれど、「自殺するくらいならなんでもできるでしょ」という言葉がある。これを考えるにあたり、死ぬくらいのことができるなら、生きるためになんでもできるはず、という諭しでもある。

鹿野さんは、ほっとけば死ぬ。理由はなにもできないから。じゃあ、生きるにはどうしたらいいのか。病院ではなく普通に街中で生活を送るにはどうしたらいいのか。

生きるためにはなんでもすればいい。だって、生きたいから。

実際に、私自身が車いす生活だった時のことを振り返ってみると、病院から外に出るのも、買い物にいくのも、映画を見に行くのも、病院食ではなくラーメンが食べたいときも、誰かの助けを必要としていた。

本を読みたい。でも本屋には一人で行けない。我慢をするか。だれかに連れて行ってもらうのも、その人の時間を割いてもらわないといけない。迷惑じゃないか。じゃあ代わりに買ってきてもらうか。そうすると2回来てもらわないとダメか。しかたない、諦めるか。

諦める、ということは非常に簡単なことだ。簡単すぎて、どうしようもないくらい。自分が我慢すれば、世の中がすべて丸く収まる。我慢さえすれば。病院にさえいれば、だれにも迷惑をかけることがないし。

だが、はたしてそれでいいのか。それが自分の生きてきた人生といえるのか。

そう考えると、本当にやるせないというか、生きていることがしんどいことになってくる。マイノリティは個性ではなく、抑圧された隔離対象でしかなくなってしまう。

冒頭20分の胸くそな視点は、よくできていると思う。そこから、なぜこのようなことに至るのか、なぜボランティアグループが結束してくのか、ということが展開が進むごとにひしひしと伝わってくる。そして、最後に観客に笑顔がこぼれてくる。

よくできた映画だと思う。障がい者とは、というよりも、わがままというのか、そのわがままにも意味がある、ということに、視点を変えて気づかされることに意味がある。

「できる、できないはだれにでもある。できないことを頼って迷惑をかけてもいい」と大泉洋が述べている。日本人の「気遣い」気質から他者への迷惑に非常に敏感になってしまっているところへの、この言葉は、頼ることの勇気が悪いことではない、ということを教えてくれている。

非常によくできた映画ではあるが、フィクションとしてのボランティア間での恋愛サイドストーリーはもう少し、といったところ。