迷走オヤジの独り言

迷走中のおっさんの独り言です

「恨む」ということ

1 恨みの感情

「他人を恨む」ということは多々あると思う。で、「あの人が憎くてしかたない」とか「一生恨んでやる」とかよく聞くし、よく相談されます。

かくいう私も、「死んでもらいたいくらい嫌い」とか「された事は一生忘れん」って事が数えきれないくらいあります。

 

広辞苑(第6版)では

うらみ「恨み・怨み・憾み」

①うらむこと。憎いと思うこと。

②不満足に思うこと。残念に思うこと。

 

と、あります。恨む、ということは何かしらの対象がある、ということです。対象となるものに、なにかしらの理不尽な行為をうけたが故に、このような感情を抱くのだと思います。

 

2 理不尽な行為

この理不尽な行為、というものは、その人それぞれのなかにある価値基準に基づいて大きさが決まります。

 

例えば、レジでの会計待ちの列に横入りされたとき、人はどれだけの感情を抱くのでしょうか。

ある人は「うざいけどからんだら面倒だからやめとこう」と見て見ぬふりをする人もいるでしょう。

ある人は「横入りすんな!みんな並んどるやろ!」と怒りを表現するでしょう。

ある人は「急ぐわけがあるに違いない。譲ってあげよう」と許すでしょう。

ある人は「あの人が横入りをしたせいで、私が買えたはずのものが買えなかった」と恨みの感情を抱くかもしれません。

 

このようにある一つの行為に対して、人が抱く感情は千差万別、人それぞれだということです。理不尽な行為、というのも人によって程度が大きく違うと思います。そのため、他人がどれくらい恨んでいるか、という事を計り知るためには、その人の価値観をどのくらい知り尽くしているか、どのくらい理解できているか。おそらく表面上の感情は理解できても、心底の感情把握までは難しいと思います。

 

3 恨みに対処する

では、そんな感情に対して、どのように付き合っていくのがよいのでしょうか。

私が相談を受ける立場であっても、相談する立場であっても、出てきてしまうキーワードがあります。

「恨みは忘れるに限る」

です。これは、私が考えるには、正しくもあり、間違いであるとも思います。

 

よく例に出されるのがお釈迦様の言葉です。

『法句経』には「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり」とあります。耐え忍ぶことにより、感情の浄化を図るのでしょう。怨みを怨みではたすことは、怨みの感情を連鎖させる、とも言えます。

 

それでは、キリスト教ではどうでしょうか。

 

『マタイによる福音書』第18章

21 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
22 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

 

とあります。これも、キリスト教にある赦しの精神をもって人間関係を保ちなさい、という教えだと思います。

 

これらの教えは正しいと思います。間違っているかいないか、と言われれば、正しい考え、導きかただと思います。

 

4 恨みの大きさ

最初に述べたように、感情のスケールは人それぞれ違います。こちらが100の大きさで恨みを抱いたとしても、相手も同じように100の大きさで悪意を持っているとは限りません。大抵は恨みの感情を持つ方が、大きな感情ではないかと思います。

 

こちらが100で恨んでも、相手が50の時もあります。こうなると、単純に考えて相手よりも2倍感情の消化をしなければなりません。そうなると、相手より2倍の時間がかかることになります。

 

「私がこれほど憎んでいるのに、あいつは素知らぬ顔をしている」なんてのは、相手の感情消化が終わって次に進んでいるのでしょう。

 

5 恨みに対処する

では、恨みの感情についてどうすればいいのでしょうか。お釈迦様やキリスト教のように、忘れるのがよいのでしょうか。

私がいつも話すのは、「とことん恨んだらいいのでは」ということです。他人から、「早く忘れろ」とか「許してあげなよ」とか言われても、感情の消化につながりません。

 

恨みの感情に向き合うことで、恨みの本質に気づく事ができると思います。最初は自分本位の感情に向き合うことで、次第に第三者的な視点で自分の考えに向き合う事が出来るようになります。できなくても、なにかきっかけが見えてくることもあります。

 

それでも、いつまでたっても恨んでいる、という状況もあると思います。それはそれでいいと思います。結局は自分の中から湧き出た感情なので、自分自身が消化に導かなければ、消え去ることはないのです。

恨みはじめなどに無理に忘れようとするから、こじれたり、何年たってもふと思い出して恨み→怒りの感情となってイライラしたりすることになると思います。それは、自分の感情にきちんと向き合わなかったから、覚えているのだと思います。

 

よく、そんなに考えているなら相談してみたら、ということがあります。誰かに話を聞いてもらう、という行為は正しいのです。が、結局問題をどうしたいか、どう解決するのか、どう恨みを解消するのか、はカウンセラーや相談員ではなく、恨んだり悩んでいる人自身なのです。とことん向き合う手助けはできますが、そのものに向き合うのは本人なのです。 

私としては、自分で区切りがつくまで、とことん向き合えばいいと思います。誰かの手助けが必要なら、借りればいいのです。しかし、時間が解決するのではなく、自分が(勝手に)解決していくのだと思います。

 

 

…と、最近恨みについて考えることがあったので、書いてみました。なにかアドバイスがあればコメントお願いします。