迷走オヤジの独り言

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最強のふたり


映画『最強のふたり』予告編

 

主演   フランソワ・クリュゼ
     オマール・シー
公開年   2011年
監督    エリック・トレダノ
おススメ ★★★★★

 

あらすじ

不慮の事故で全身麻痺(まひ)になってしまった大富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、新しい介護者を探していた。スラム出身の黒人青年ドリス(オマール・シー)は生活保護の申請に必要な不採用通知を目当てに面接にきた不届き者だったが、フィリップは彼を採用することに。すべてが異なる二人はぶつかり合いながらも、次第に友情をはぐくんでいき……。最強のふたり (2011) - シネマトゥデイ

 

感想

満足、のひとこと。以前から観たい、と思っていてやっと見ることができた。まず、「もっと早く見ておけばよかった」と思った。

 

二人の関係が見事に秀逸。大富豪、上流階級、知的と最頂点にいるが身体障碍のフィリップ。対して最底辺、貧民、粗暴下品、と正反対のドリス。この組み合わせは、普通考えるなら平行線のまま決して交わることのない人生のはず。それが一瞬交差したことでお互いの関係が始まる。

常識とか、知性とか、品性なんてのは、生きていくうえで非常に重要なものであるし、それ相応に合った環境も存在する。しかし、それ以前に必要なのは、生きていくことに対してどれだけ自分が自分の思いをもてるのか、信条とするものはなんなのだろうか、ということだと思う。

 

フィリップがなぜドリスを介護人として迎え入れたのか。

作中にもあったが、すべてを持つフィリップは、その高みから人を見下ろすことで満足を得ていたのだろう。動けない、という自分が人を見上げるという行為にどう向き合ってくれるのか。フィリップ自身がもっていない、唯一のところをどのようにくみ取るのか。その部分を「理解」するのではなく「普通に」接することができなかったから、「普通の」介護人はすぐにクビになっていったのだろう。

ドリスはその点、「自分に正直」であったし、ドリス自身の中に「自分のルール」としての信条があったのだろう。悪いことはする/したけれども、心からの「悪」ではなかったし、他人に対する「想い」は熱いものがあったのだろう。

 

だから、ドリスはフィリップに対しても「正直」であったし、フィリップを「ありのまま」に扱ったのだと思う。この「ありのまま」ということが、非常に難しいことである。ハンディキャップを目の当たりにしたときに、「ありのまま」でいることよりも過剰な「気遣い」をするほうが楽であるのは間違いない。そこをあえて、「ありのまま」「普通」に接することができる、ということが、ドリスの本質だったと思う。

 

できないことはできない。そのことをどうとらえるのか。からかいを悪意ととるのか、その人との交流ととるのか、それは互いの信頼関係があっての話ではあるが、フィリップは自分を一人の人間として扱ってくれたドリスに対して、信頼で応えていたのだろう。「信頼していいのか?」という問いを繰り返すほど、自分をゆだねることに不安を感じていたのだろうとも思う。

 

観終わった後の満足感が非常に高い。「良いものを観た」とはっきり言える。満足。

 

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